これまでの歩みと、これから

理想の総合病院を目指して

埼玉県央病院のこれまでと、これから

埼玉県央病院は平成30年に30周年を迎えます。昭和63年に誕生した当院は、地域の皆様や医療関係者の皆様に支え続けていただき、おかげ様で一つの節目を迎えられることとなりました。こちらでは、当院がこれまで歩んできた道のりとこれからの未来についてご紹介します。

1988~医科と歯科医療を融合した理想の病院を目指して~
昭和63年に産声を上げた埼玉県央病院は、「桶川坂田病院」という病院名でスタートしました。当時20代後半だった当医療法人理事長・𠮷村は、「医科と歯科医療を対等に融合させることで、地域の患者様に心から信頼していただける病院になれるはずだ。そしてゆくゆくは、介護や福祉を含めた理想的な地域医療を実践できる総合病院に育てていこう。そのためにはどんな困難や逆境があっても、大志を貫いて絶対に実現させる」――、そう強く決意しました。今は舗装されている駐車場も、当時はまだ泥だらけ状態でのスタートでした。

昭和63年9月桶川坂田病院設立

1990~“法人化して土台の強い病院にしたい”~

開業して間もなく、病院を法人化させて「医療法人財団 聖蹟会」を設立。法人化させることで病院としての経営土台を強くする狙いがありました。それはつまり、強い経営土台により安定した病院運営を実現できるので、患者様や地域の皆様の病に対する不安を和らげ、健やかな毎日への貢献につながります。

また、法人化によって医療の枠にとらわれず、介護や福祉施設を展開することもできます。スタート時に想い描いていた、“介護や福祉を含めた理想的な地域医療”を実現するためにも、法人化は必然的な過程でした。

そしてこの“聖蹟会”という名前には、「後世にまで残り続ける医療を、この埼玉県央病院で創りあげたい」――、そんな想いが込められています。30年、50年、そして100年先の未来を見据えて、この名前が付けられました。

平成元年11月医療法人財団 聖蹟会設立

1997

平成9年8月アベル内科クリニック設立

平成9年11月ハートランド桶川設立

1999~埼玉県央病院へ名前を変更、介護・福祉施設の充実~

いよいよ桶川坂田病院から、“埼玉県央病院”へと名前を変更する時が訪れました。それが平成11年のことです。またそれと前後して、聖蹟会グループの充実と発展に取り組み始めました。アベル内科クリニック(平成9年)やハートランド東大宮(平成17年)、聖蹟プライムコート東大宮(平成17年)など、医療施設や介護・福祉施設を次々と展開しました。

それには理由があります。聖蹟会グループとして安定した基盤を構築することで、埼玉県央病院を地域医療・介護・福祉・予防医療の拠点にしよう――、そんな考えがあったからです。

そして聖蹟会グループは少しずつ展開を広げ、アベル内科クリニック(平成9年)やハートランド東大宮(平成17年)、聖蹟プライムコート東大宮(平成17年)など、3つの医療施設や4つの老健施設、1つの住宅型有料老人ホームを展開するに至りました。展開地域も埼玉県内にとどまらず、東京や沖縄など全国規模にわたっています。

平成11年10月埼玉県央病院へ名称変更SEISEKIKAI医療法人財団埼玉県央病院

平成11年10月ハートランド浦和設立

2001

平成13年3月腎・泌尿器センター設立

2004

平成16年1月病院機能評価(複合病院種別A)認定

2005

平成17年4月ハートランド東大宮設立

平成17年5月聖蹟プライムクリニック 設立

2007

平成19年4月聖蹟プライムテクノロジースタジオ設立

2008

平成20年7月聖蹟プライム歯科クリニック設立

2011

平成23年9月ハートランド大宮設立

そして、未来へ~30周年を迎え、
 新たなスタート~

埼玉県央病院は平成30年に、いよいよ30周年を迎えます。でも、30周年は一つの通過点でしかありません。私たちが目指す先には、桶川市や上尾市、伊奈町、北本市、鴻巣市などの県央地域が充実して発展している“未来”が待っています。その未来を実現するためにも、私たちはまだまだ走り続けなければなりません。

泥だらけの駐車場から病院の建物を見上げた時に決意した、「医科と歯科医療の融合した地域医療を実践する、理想の総合病院の実現」はまだ道なかば。私たちはこれからも理想の実現に向けて、地域の皆様に心で向き合いながら全力で走り続けていきます。